小説的空間はリアルの夢を見るか?
欲望を覆い尽くす濃密な「白の空間」
馳星周 著 「雪月夜」 双葉文庫 刊
小説の舞台として描かれる都市が、
都市そのものを象徴してしまう場合がある。
それは、舞台としての役割を超え、
都市の個性として読者の脳裏に刻まれる。
例えば、「新宿」という街。
ここを舞台とする小説はたくさんあるが、
ひとつの作品に代表させるとすれば、
「不夜城」を挙げる人は少なくないだろう。
もちろん、「新宿鮫」も捨てがたいけど、
新宿の「新宿性」だけに特化してしまえば、
「不夜城」ということで、異論はない。
この馳星周のデビュー作は、
それほど鮮烈に新宿という街を印象づけた。
それは、実際の新宿以上に、新宿であり、
新宿は「不夜城」の中に、永遠に生き続けるだろう。
約 10 年前に出現したこの小説を、
私は長い間、手にせずにやり過ごしてきた。
避けてきた、という方がより正確かもしれない。
よくは分からないが、近づかない方がいい、
そんな感覚があったことは確かだ。
あるいは、新宿という街に打ちのめされた経験、
あの忌わしい「ぼったくりバー」での記憶が、
甦ってしまうことを避けたかったのかもしれない。
しかし、ひとたび、恐る恐る手に取った途端、
逃れられない強烈なパワーに惹き付けられてしまった。
その強烈なパワーを放つのは、暴力とセックスの描写、
それ以上に、馳星周の世界を決定付けているものは、
果てしない恨み、憎しみと、裏切りの連鎖、だ。
馳星周の登場人物には、ほとんど感情移入ができない。
普通は小説の愉楽とも言うべき主人公への感情移入は、
馳星周の世界では、徹底的に排除されてしまう。
誰にも共感できず、誰にも好意を傾けることができない。
もちろん、現実の新宿には愛すべき人もいるはずだ。
何より、馳星周的新宿が実際に存在したとすれば、
その街には、毎夜死体の山が築かれてしまうだろう。
そんなことはあり得ないし、この新宿は、あくまで
ヴァーチャルな世界として存在するに過ぎない。
しかし、馳星周が紡ぎ出す都市のイメージは、
彼の頭の中にあったはずの、その街は、
実際の街以上に、リアルな空気を放っている。
既に、私の頭の中にも、その都市は築かれている。
そして、三部作で描かれる「不夜城」以上に、
強烈な都市のイメージを映し出す作品が、これだ。
「雪月夜」
舞台となっている都市は、根室。
この極寒の最果ての街を舞台に物語は展開する。
私自身、根室を訪れたことがないので、
この馳星周的根室が、私の根室の全てである。
今のところ、は。
この小説の最後に、馳星周は、
「付記」として、こう締めくくっている。
「98 年の冬、
わたしはテレビの取材で根室を訪れた。
それ以前も以後も根室を訪れたことはない。
本書は、わたしのとち狂った脳が
紡ぎだした物語にすぎない。
はた迷惑な話だとは思うが、
本書をオホーツク周辺で暮らす
すべての人々に捧げる」
実際、根室の人は、はた迷惑に思っているかもしれない。
なぜなら本書は、「北の国から」のような、感動的で
郷愁を誘うような優しさの欠けらもない物語だから、だ。
大まかなストーリーを、解説を書いておられる
香納諒一氏の一説より引用させていただく。
「根室でくすぶる主人公幸司の元へ、
ある日、暗い絆によって結ばれた祐司が現れる。
祐司は幸司に、やはりかつての悪友である
敬二が二億の金を組から掠め、
ナターシャというロシア人娼婦を連れて逃げたので
探し出すのに協力しろと持ちかけ、
ふたりは敬二を追う。
それだけである」
それに様々な登場人物が絡んでくるのだが、
彼らの行動原理も、極端に単純化されている。
要は、相手を出し抜き、裏切りを繰り返しつつ、
主人公たちと張り合いながら、金を追う。
ただ、それだけなのだ。
地元暴力団の木村、その組員の武、
悪徳警官の恩田と太田、アカ新聞の記者の加藤、
市会議員の高谷と、その愛人でスナックのママ加代子、
元 KGB 工作員の不良ロシア人ミーシャ、などなど、
いわゆる、心優しき愛すべき人物は、皆無だ。
皆が、相手を出し抜くことだけを考え、
憎みあい、騙し合い、裏切りながら、
ただひたすらに、金を騙し取ろうとする。
登場人物の過去やトピックス的な挿話がないのは、
この裏切りの構図を限りなくシンプルに、
強烈に物語ろうとする作者の意図である。
主人公の幸司は、根室で漁師の子供として生まれる。
父親は現状ロシアの領海である北方領土沿岸で操業し、
ロシアの巡視船に拉致され、その後、
ロシア船の操業をサポートする仕事を始める。
幸司は、幼い頃から「露助船頭の息子」と罵られ、
誰にも心を開かずに、全てを呪って成長する。
その幸司の、腐れ縁の相棒が、祐司だ。
祐司は、アル中の地元ヤクザの息子として生まれ、
幸司と同様、街の全ての人間から罵られ、
虐げられる少年期を余儀なくされてきた。
幸司と違うのは、中学時代に著しく肉体が成長し、
暴力によって相手を叩きのめす術を得たことだ。
祐司は幸司を叩きのめし、幸司は祐司を虚仮にする。
彼らの関係を強く結び付けているのは、
友情といった甘っちょろいものでは決してなく、
心の奥底に深く宿した憎しみへの呼応であり、
酷似する境遇から発露する、暗黒の絆である。
二人は、どこまでも憎しみあいながら、
お互いをどこまでも深く理解している。
幸司は、祐司から逃げ出したいと思い、
そう思っていることを知っている祐司は、
決して、幸司を逃がそうとはしない。
幸司は、高校卒業の後、東京に出て、
ロシアに加担した父親に反抗するように
右翼団体に属し、戦闘部隊の訓練を受ける。
それを知った祐司もまた、
幸司を追うようにして、右翼に入会する。
そこで、敬二に出会うのである。
敬二もまた暗い過去を持つ青年であり、
自分には、憎しみ合う相手さえいなかった、
と、羨望の念を抱き幸司になついてくる。
幸司は、そんな敬二に殺意さえ抱く。
しかし幸司は、敬二を受け入れ接近し、
祐司は、敬二を敬遠し、厭う。
この作中に、リフレインのように、
何度も繰り返される、一節がある。
幸司と祐司。祐司と幸司。
幸司と敬二。祐司と敬二。
三人は、同様の憎しみを抱えつつ、
お互いに対峙し、離れられない関係である。
三人が抱いた激烈な憎しみの情は、
自らへの、相手への憎しみであると同時に、
世界そのものへの憎しみとして吐き出される。
物語の最後、登場人物のほとんどは、
雪の降り続く山中へと引き寄せられていく。
幸司が見つけ出した金を強奪するためだ。
そして、そこに集まった全員が、
殺し合いを繰りひろげた末、死ぬ。
馳星周的世界においては、
登場人物が死ぬことは、驚くべきことではない。
他の作品も例にもれず、重要な役割を担う人物も、
最後には、いともあっけなく、死んでしまう。
読み始めた途端、その結末は、
物語全般を覆う暗黒のベールで暗示されている。
要するに、登場人物が生きている間は、
物語は終わらずに進行する、ということだ。
その殺し合いの、山中。
雪が深々と降り積もる中、
天空の月が、輝いている。
皓々と輝く満月。
晴れ渡った夜空から降ってくる雪。
幻想的で矛盾に満ちた光景。
満月に降る雪、「雪月夜」は、
人間の貪欲、あくなき欲望を覆い隠す、
濃密な白の空間、だ。
欲望は、白に消されてなくなった訳ではなく、
その濃密な白の中で、うごめき続けている。
いわば、白は、清楚や静謐の象徴ではなく、
人間の底無しの欲望を呑み込むホワイトボックスだ。
混沌たるブラックボックスを凌駕する、
果てしなく貪婪で濃厚なホワイトボックス。
その、「欲望のホワイトボックス」は、
現代社会の欲望装置としての空間を暗示する。
商業ビルに濫立する高級ブランドの空間、
そのほとんどは、ホワイトボックスであり、
人々の欲望を際限なく掻き立てていく。
人々は、欲望に塗り込められた白の空間で、
あくなき欲望を満足させるため、金をバラまく。
濃密な「白」に覆い尽くされたホワイトボックスは、
高度に成熟した消費経済社会の、欲望の記号だ。
しかし、である。
「雪月夜」の根室の雪に覆われた山中を読みつつ
なぜ、こんな話になってしまうのか・・・・・
自分でも、いささか悩み込んでしまうが、
それでも、メトロポリタン東京に集積する
白の空間を見るたびに感じていたことが、
ここぞとばかりに噴出したのかもしれない。
あるいは、女房に引きずられて行く
玉川高島屋の、あの、「白の空間」に、
いつもドキドキしてしまっている私の恐怖が、
「雪月夜」に反応してしまったのかもしれない。
いずれにしても、
「白の空間」は、コワイ。